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2017/05/17琉球紅型とは…
 琉球紅型は、14〜15世紀頃に始まったと言われる沖縄唯一の染物で、
京友禅・加賀友禅・江戸小紋と並ぶ、日本の代表的な染物です。
その語源については、赤系染材の「弁柄」とする説もありましたが、
現在では「紅(ビン)」は赤色という意味ではなく色そのものの総称として、
また、「」は型染めのことではなく、模様を指すとして考えられています。
 紅型は、糊を媒体として染める染物で、
型紙を使って糊防染した後、模様を染める「型染め」と、
糊袋に入った糊で模様の線を描き防染し、模様を染める「筒描き」と呼ばれる
二つの技法があります。
 色指しは「紅入り(ビンイリ)」あるいは「色指し(イルジャン)」と呼ばれ、
色配り(イクルベー)、二度差し、隈取り、地染めの四つの段階を踏まえて行われます。
色指しに使われる材料には、植物染料と顔料があります。
植物染料は主に、琉球藍と黄色の染料である福木が使われます。
これらの染料、顔料を混ぜ合わせ、無数の色が作り出されます。
 紅型を生業とする人々は紺屋(コーヤ・クーヤ)と呼ばれ、王都首里に集中していました。
沢岻、知念・城間の三家は開業の歴史も古く、昔ながらの技術を伝承していました。
図案は一部、貝摺奉行所の絵師が描く場合もあったようですが、図案から型彫り、
染めて仕上げるまでの作業は、一つの紺屋の仕事でした。また、紅型の作業のほとんどは、
男性の仕事であり、女性が本格的に参加したのは、第二次世界大戦後となりました。
 日本国で唯一地上戦が行われた沖縄の戦後は、焦土と化していました。
あらゆる物が焼き尽くされた中で、城間栄喜を中心に紅型の復興活動が始まりました。
 1973年、祖国復帰の翌年、城間栄喜を代表とする「沖縄伝統びんがた保存会」が
県指定の無形文化財となり、その技術保持者として、城間栄喜・知念績弘・屋宜元六・大城貞成が認定されます。
1996年6月には、国指定重要無形文化財として玉那覇有公が人間国宝としての指定を受け、
これにより紅型が日本を代表する染物としての評価を得ました。


紅型の歴史
 
琉球王朝時代に生まれた紅型は、型染のみによる染色技法で成り立っています。
その表現の多様性には独特なものがあり、染色品の中でも特別な地位を占めています。
米糊を防染剤として、顔料や染料を用いた紅型の染技は18世紀中頃には確立していたと見られ、
王家や貴族、士族など特定の階級を中心に着用され、琉球紅型独自の世界を作り上げました。
特に紅型のもつ美しさは、沖縄の美意識「清ら」(チュラ)とも相まって、柳宗悦をしてその著、「琉球の富」で次の如く感嘆せしめています。
 
「どんな国の女達も沖縄の《紅型》より華麗な衣裳を身に付けたことがないでせう。
とりわけ沖縄のやうな南国ではそれが非常に相応しかったと思ひます。
鮮やかな赤や緑の自然に和して、花の如くに咲き乱れたのです」
 
しかし、明治維新、王朝の崩壊により制作の後ろ盾を失い紅型は急速に衰退します。
さらに、先の大戦で唯一の地上戦は全てを焼き尽くし、紅型を生み出す人も道具も全て破壊しました。
紅型は、ゼロ以下からの再スタートをよぎなくされます。
 
紅型の工程は大きく分けると、11になります。
図案・型彫・型置・色挿・隈取・蒸・水元・糊伏・地染・蒸・水元と整理
分ければ際限なく増えますが、どの工程も手仕事、経済的な効率性は無視です。
高度な染技と多彩な色の集まりが紅型なのです。
隈取りを中心に暈し技法を効果的に使います。
 
虹暈し…個性の強い色同士をぼかし技法を使い違和感なく対比さす。
墨暈し…多彩でも濃度の違いと文様を生かしてぼかし、全体にうごきをつける。
朧暈し…二枚型。朧型もぼかしの一つといえます。地型の彩度をおとし、主の型に濃淡をいれ模様を浮き立たせます。
絵羽暈し…小紋絵羽を部分的にぼかしを入れます。

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